腐ったきりたんぽ野郎の頭ん中

この頭ん中をそのまま打ち込みます

腐った自分に気づく

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本当に自分という人間が腐っていることに気づいた

またやってしまった

もう数えきれないくらい

同じ過ちを犯している

ずっと考えてきた

なぜこんなにも

同じ間違いを犯してまうのか

自分を変えたくて

大切なものを守りたくて

やっていることなのに

いつも逆方向に状況が進んでしまう

描いていたのはこんな現実ではない

もう底辺を自分自身で感じた

あとは上がるだけだと考えていたのに

なぜかまた同じ過ちを繰り返している

きっとうまくいくと信じている

これだけ間違いを犯したのだから

これからはもっとよくなるはずだ

それでもいっこうによくならない

目指している方向があって

それは今までもこれからも変わることはなくて

そこに向かっているつもりが後退ばかりしている

それでも向いているベクトルは変わっていない

じゃあどうすればいいのか?

まだやっていないことはないのか?

実はある

それは頭の中にずっとあったこ

それは、、、今やっていることをやめること

目的地が定まっていて

そこに向かう手段があるけれど

その手段でいつも目的地まで到達できずにいたのだから

その手段を用いるのはやめて

別の手段を用いるべきなんだと思う

本当ならばもっと早くそうすべきだった

それでも頭の中に

失敗は成功の基という言葉があり

ここで手段をかえることはあきらめることと同じだ

という考えにいたり

結局今の今まで続けてきた

でもいい加減気づかなくてはいけない

同じ結果を繰り返してしまうのは

まさに〝 今 〟同じことを繰り返しているからなのだ

手段を変えることはあきらめることとは違う

あきらめるとは、目指すことをやめることだ

でも自分は違う

決して目指すことをやめなかった

ただ目指し方を頑固に変えずにきただけなのだ

楽して電車や車でいこうとして、結局だめだったんだから

自転車、歩きで目指すことを選択すべきなのだ

たとえそれが地道だとしても

確実に目的地に近づくことはできる

これは自分自身に対してのメッセージだ

もう一度言う

手段を変えることはあきらめることではない

目指すことをやめることをあきらめるというのだ

あきらめなければ必ず到達できる

でもそれも

確実に前に進んでいないといけない

今のやり方で前に進んでいると言えるか?

達成はできていなくてもせめて近づいているのか?

近づくどころか、遠くなっている

精神的にも、経済的にも、遠くなっている

それがわかっている以上は、今のやりかたを続ける理由はない

これから起業を目指すものが

そうした客観的判断を下せないようなら

そもそも起業家になんてなれないのだと考えた

起業家はおそらく、

変化の激しいこの世の中に対応するために

同じ過ちを繰り返すことなく

新しいアイデアを常に考えているはずだ

当たり前だ

サラリーマンなら肝心な部分を会社が考えてくれる

でも起業家は違う

自分がトップで、自分が第一線で走らなければならない

そこに必要なスキルだったり、マインドだったり

必要なものがあるのだ

待っていては何も変わらない

自分の力で、状況を変えなくては

いつまでたっても同じ人生の繰り返しだ

人生はシンプルだ

良くも悪くもなるようになるのだ

なるようになるし

変わらないように変わらないのだ

それはつまり

変わるように変わるのである

人生は自分のこの手で変えるしかないのだ